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無形資産の「識別」とは?

識別対象となる無形資産の例示

日本基準においては、法律上の権利など分離して譲渡可能という「認識要件」を満たし、独立した価格の「合理的な算定可能性」を有する無形資産を識別可能無形資産として取り扱うこととなっており、以下の資産が例示されています。

  • 産業財産権(特許権、実用新案権、商標権、意匠権)、著作権、半導体集積回路配置、商号、営業上の機密事項、植物の新品種、ソフトウェア、顧客リスト、特許で保護されていない技術、データベース、研究開発活動の途中段階の成果など

実務上は日本基準の例示だけではなく、IFRSの以下の例示を参考に、識別可能な無形資産を網羅的に検討することが一般的です。

区分 項目(抜粋)
マーケティング関連無形資産 商標、商号、インターネットのドメイン名、競業避止協定など
顧客関連無形資産  顧客との契約・関係、顧客リスト、受注残など 
芸術関連無形資産 著作権、文学作品、音楽作品、映画またはフィルムなどの視聴覚データなど
契約関連無形資産 有利な契約、ライセンス・フランチャイズ契約、用船・リース契約、許認可など
技術関連無形資産 特許技術、特許化されていない技術、ノウハウ、仕掛中の研究開発費など

上記の表と対象会社の情報・企業概要等に基づいて、一つずつ無形資産の識別可能性について検討をします。

識別した無形資産について、更に価値評価を行うべきかを検討し、その後の実際の計算プロセスに進んでいきます。無形資産を識別したものの重要性が低い(計算しても金額が僅少となることが見込まれているなど)場合には、識別自体はするものの、算定までは実施しないこともあります。

無形資産の識別に関する留意点

クライアント(買収者)の買収の目的

PPAでは、買収者の視点に応じつつ、無形資産の客観的な識別と算定(市場参加者の目線も踏まえて)が求められます。対象会社の何に魅力を感じて買収したかということを聴取する必要があります。

そこで、クライアントとコミュニケーションを図り、買収目的をより詳細に把握することで、対象会社に帰属する無形資産や対象会社の競争上の優位点を把握します。買収時のプレスリリースの内容の確認なども含まれます。

また、複数の無形資産の識別が予想される際には、当該複数の無形資産の価値的な優劣も聴取します。技術関連無形資産の識別が想定される際には、技術の優位性や特許の内容のみならず、耐用年数に係る基礎的な情報を得ることもあります。

対象会社の事業の理解

無形資産を算定する評価機関は、対象会社をまずは包括的に理解するために必要な情報収集を行います。識別については、専門的な評価機関であれば、事業内容を聴取した時点である程度の当たりをつけるところから始めます。

例えば、B to Bのような対企業向けビジネスであれば、顧客関連無形資産が識別されることが多く、B to Cのような一般消費者向けのビジネスであれば、ブランドなどのマーケティング関連無形資産が識別されます。

対象会社の理解の方法として、かつ計算対象とすべき無形資産の抜け漏れ等を防ぐために、M&A時に取得した財務・法務デューデリジェンス報告書の閲覧も行います。無形資産の検討では、M&Aの際の価値算定(取得時のバリュエーション)とは異なる視点で報告書を閲覧することになります。

また、対象会社に対してQAを実施し、デューデリジェンスには含まれないような情報を入手します。無形資産の識別に係るIRL(information request list)を作成し、対象会社自身からの回答を受領します。ここでのQAやIRLは、M&A時の価値算定とは異なる異質な内容も多く、対応する対象会社担当者にとっては、あまり馴染みのない資料を依頼されたり、人的資産などの固有の資料の作成を依頼されたりするので、相応の負担がかかるのも事実です。

事業概要の理解に加えて、顧客関連無形資産の識別可能性が高いと推察される際には、過去5年間程度の顧客別売上高一覧表なども併せて依頼し、初期的な顧客動向分析を実施することもあります。業種によっては顧客数の増減情報や単価情報等も入手して分析することもあり、対象会社の顧客の特性に応じた資料依頼・QAの作成が求められます。

抽象的な質問が含まれることもあるため、マネジメントインタビューを実施して直接的に対象会社のバリュードライバーを把握したり、受領した資料の裏付情報を得たり、評価機関の推察の確認をすることもあります。

無形資産の識別に関する資料の作成と監査法人との事前協議

クライアント及び対象会社から得られた無形資産関連の情報に基づいて、「無形資産の識別に関するディスカッションペーパー」を作成します。無形資産の識別の是非について、予め監査法人と協議することが目的です。

識別の時点、すなわち無形資産の正式な算定プロセスに入る前に監査法人と事前協議することで、この後の算定対象となる無形資産の抜け漏れを防ぎ、算定作業の手戻りの防止が期待できます。

また、識別のみならず、重要な論点が存在するPPA案件では、この段階で監査法人とその論点を事前協議することもあります。

ただし、すべての監査法人または監査チームが事前協議に応じてくれるわけではありません。
評価機関としても無形資産の「認識」に論点がある、または無形資産の算定作業に重要な論点が存在する際に事前協議の開催可否をクライアントと共に検討することが、ある意味評価機関としてのマナーなのかもしれません。

PPA実施に際しての無形資産の「識別」プロセスの位置づけ

PPAは会計基準上、M&Aのクロージング日後1年以内に完了することが求められています。

1年以内と長めに期限が設定してあるのは、無形資産が多く計上されるような案件の場合、取得原価の配分にある程度時間がかかると見込まれているためです。

PPAの実施タイミングは、実務上M&Aのクロージング後から開始することが一般的です。その一番最初のプロセスが、無形資産の識別です。その後の無形資産価値算定に影響を及ぼすので、識別作業は非常に重要なプロセスです。

 

参考 ~プレPPAでの無形資産の「識別」

PPAの結果がM&Aの意思決定に影響を及ぼしそうな場合には、デューデリジェンスやバリュエーションと同じタイミングで「プレPPA」と呼ばれる事前の簡易なPPAを実施することがあります。

プレPPAは、過去事例をもとに無形資産の識別金額や償却年数を推定する方法や、受領している情報の中から無形資産の簡易な計算を実施することです。不明なパラメータは感応度にて対応するなど、可能な範囲で簡便的な無形資産価値を試算・シミュレーションすることです。

プレPPAを実施することで、M&A意思決定時にM&Aによる財務影響をより詳細に分析することが可能になります。主には、クライアント(買収者)からの要請を受け、買収後の償却負担の概算額を把握する目的で実施されることが多いようです。

プレPPAにおける「識別」作業も必要となりますが、主たる無形資産を評価機関の方で仮識別することが多いように思います。また、同業他社のPPA事例等から識別する無形資産を仮定することもあります。

まとめ

PPAの実務を進めるためには、クライアントの財務・経理部門、対象会社、PPAの評価機関、監査法人と多数の関与者間での円滑なコミュニケーションが必要です。PPA作業は数ヶ月間に渡ることもあり、また、クライアントや対象会社のPMIや通常業務に加えて実施されることになります。期限も比較的タイトではない中で実施されることも多いため、タスク・日程管理が思いの外重要となることもあります。

その中でも無形資産の識別は、全体のプロセスの最初に位置づけられることもあり、その後の算定作業に大きな影響を与える点には留意が必要です。